2026年11月01日
苦しみの中で出会うイエス様の慰め
人生には、どんなに祈っても状況が変わらず、どんなに頑張っても心が折れそうになる時があります。人の前では笑っていても、一人になると涙があふれることもあります。そんな時、私たちは神様に問いかけます。
「主よ、私の苦しみを知っておられますか。本当に私と共にいてくださるのですか。」
そんな時こそ、私たちはイエス様の十字架を見上げたいと思います。
イエス様は、裏切られること、見捨てられること、そして不当な扱いを受けることや、激しい苦しみを経験されました。十字架の上で苦しまれたイエス様は、私たちの痛みを遠くから眺めておられる方ではありません。私たちの涙や寂しさ、誰にも話せない心の傷まで知っておられる方です。
イエス様は、このように語られました。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書 11章28節)
イエス様を信じていても、すべての苦しみがすぐになくなるわけではありません。しかし、苦しみの中にあっても、私たちを支えてくださる方がおられます。今は進む道が見えなくても、神様は私たちを見捨てることはありません。
十字架の金曜日が最後ではなかったように、私たちの苦しみも絶望で終わるわけではありません。イエス様の復活は、暗闇の向こうに新しい命と希望があることを教えてくれます。
今、人生の重荷に疲れていませんか。家族の問題や健康の悩み、経済的な苦しみの中にいませんか。
少し立ち止まって、イエス様の前に心をゆだねてみてください。無理に強がる必要はありません。涙が出る時は、泣いてもいいのです。祈る力さえ残っていない時でも、主はあなたの心を知っておられます。
あなたが最も弱くなった時でも、イエス様の愛は決して変わりません。
今日も共にいてくださるイエス様の中に慰めを見いだし、再び立ち上がる力と、明日への希望を得ることができますように。
共にささげる祈り
愛するイエス様、苦しみの中にいる私たちの心を慰めてください。先が見えない時にも主を信頼し、涙の中にあっても、十字架と復活の希望を握りしめることができますように。疲れた人に新しい力を与え、絶望の中にいる人に希望の扉を開いてください。
イエス様のお名前によってお祈りいたします。アーメン。