ココロのイズミ

[2025.11.30] 自分の民は彼を受け入れなかった


2025年12月01日

ヨハネの福音書 1章5節、9節~14節

1.光を認めなかった霊的闇

私たちはクリスマスの時、処女懐胎のような「How(どのように)」という問題よりも、「Why(なぜ)」神の子が低いこの地上に来るしかなかったのか、その御心と事情を理解する必要があります。使徒ヨハネはイエス様を「まことの光」であり「まことのいのち」であると紹介します。この表現は、すでに世の中に偽りの光と死の権威が支配していたことを意味しています。世はイエス様によって造られたにもかかわらず、その方を認めず、光を理解しませんでした。これは、万物を通して神を知り得たにもかかわらず、人間の罪と不義によって真理を故意に無視しようとした当時の人々の霊的な状態が原因でした。

2. 自分の民さえ拒んだ世俗化の時代

旧約と新約の間の400年間の沈黙期、イスラエルは強大国の支配とヘレニズム文化の強力な誘惑に絶えずさらされました。これにより唯一神信仰は危機に瀕し、神殿を預かる指導者たちでさえ金と権力のために変質しました。イエス様は**王としてご自身の民のところに来られましたが、罪と世俗の誘惑に心が離れた彼らは、その王を受け入れませんでした。今日の教会もまた、強力な世俗化の誘惑の中で信仰が薄まり変質する深刻な「闇への変化」**を経験しています。私たちがこの霊的な闇から脱しなければ、クリスマスの真の喜びと感動は訪れないでしょう。

3. 受け入れる者に与えられた「神の子となる権威」

イエス様の受肉は、ご自身の民に拒絶されるという痛みを伴いましたが、同時に最大の恵みの通路となりました。受け入れない者がいたにもかかわらず、誰でもその御名を信じるすべての人に、神の子となる権威(資格)を与えてくださいました。これは、死の権威の下にあったすべての人が、その方を受け入れさえすれば、罪と死がもはや力を及ぼせない永遠のいのちの権威を得ることになったことを意味します。待降節の期間、私たちが世の誘惑の中でも心を保ち、その方を心から受け入れることによって、神の子として享受する喜びと感動をもってクリスマスを迎えられるよう願います。

[2025.11.30] 自分の民は彼を受け入れなかった

ヨハネの福音書 1章5節、9節~14節 1.光を認めなかった霊的闇 私たちはクリスマスの時、処女懐胎...

絶望中に希望を見ることができる理由は?

2023年09月13日

-絶望中に希望を見ることができる理由は?‐ 私の絶望より神の計画が大きいから <聖書の御言葉> ...